曹洞宗萬歳山 台雲寺について

萬歳山 台雲寺について

台雲寺

萬歳山台雲寺は、福井県の大本山永平寺・神奈川県の大本山総持寺を両本山とし、滋賀県の總寧寺の流れを組む、曹洞宗のお寺です。

江戸時代には、延岡領内各地の寺院の復興・開山につとめて東・西臼杵郡内に49ヶ寺、児湯郡内に1ヶ寺の末寺をもつ本寺となり、今もなお宮崎県内の末寺44ヶ寺の本寺として、布教・修法に力を入れています。

境内には、延岡藩最後の藩主・内藤政擧(まさたか)公の墓所や、空の先駆者・後藤勇吉の墓所、文政年間奈良薬師寺のものを転写した佛足石・佛足石歌碑があり、また、歌人・若山牧水が『なつかしき城山の鐘鳴いでぬ をさなかりし日聞きしごとくに』の詠草を残した場所としても有名で、若山牧水の歌碑がたてられています。

境内については、詳しくは境内案内をごらんください。

台雲寺の歴史と沿革

養老3年 
(719年)
懸(あがた・現延岡市)の領主・土持氏の時代に、笑領和尚によって今山へ蓬来山金仙寺が創建される。
天正15年  (1578年) 県領主となった高橋元種が金仙寺を萩に移し、後に大圓山西林寺を建立して菩提寺とした。
慶長19年
(1614年)
高橋元種が改易となり、有馬直純が肥前・島原から封ぜられる。
元和2年
(1616年)
有馬直純が西林寺を廃寺して台雲寺を建立。山号を萬歳(ばんぜい)山とつけて菩提寺とし、寺領百石を寄進。
ちなみに、台雲寺の寺号は、有馬氏の祖先で初代・有馬遠江守経澄の法号「正行寺院殿台雲座蓮大居士」の『台雲』からとったもである。
元文3年
(1737年)
有馬氏のあと、延岡に移封した牧野氏が、萬寿山と山号を変えて法灯を引き継がせ、寺領五十石を寄進。
延享4年
(1747年)
福島県より内藤政樹が移り、台雲寺は特別な支持をうけたことで台雲寺をはじめ末寺の隆盛へつながる
安政5年   (1858年) 『随意会地(ずいいえち)』の寺格を受ける
昭和2年
(1927年)
5月23日に逝去された延岡藩最後の藩主・内藤政挙公の墓所建立
昭和48年
(1973年)
新本堂・檀信徒会館・位牌堂完成
昭和59年
(1984年)
地蔵苑完成
平成19年
(2007年)
永代供養塔完成 納骨堂増築

 

住職からのごあいさつ

宗教を比較される言葉に、
仏教は『慈愛』を、儒教は『仁』を、
キリスト教は『愛』を
解いたといわれています。

今では一般的・日常的に使われている「慈悲」は、仏教用語です。
「慈」は、「与楽(よらく)」といって、衆生(しゅじょう)を大切にし、幸福を与えること、
「悲」は、「抜苦(ばっく)」といって、衆生(しゅじょう)を苦難から救い、苦境を脱せしめること(禅学大辞典より)を意味します。

数十年前、私が本山で修行中、禅師様から温厚で優しいと評判の、あるお寺の住職の話から『慈悲』を教わりました。

山から降りてきて境内に入った鹿に小僧さんが達が餌を与えていました。そこを通りかかった住職が、鹿に向かって石を投げつけたのです。小僧さん達は普段の温厚な姿から想像もできないその様子に驚いて、住職に理由を尋ねてみると、住職は、
 ”人間の恐さを知らなければ、いつか人間の手にかかり命を落とすことになる”
と話しました。

住職『慈悲』とは、優しさと厳しさが共に在るという教えでした。
今でも鮮明に覚えています。
この『慈悲』を主眼において、檀信徒の皆様の幸せを祈り、歴代住職が積み重ねてきた伝統と歴史を少しずつ後世に紡ぎながら、歩んでいきたいと思っております。

萬歳山 台雲寺 32世祖道光勇

 

曹洞宗とは

お釈迦さまのお悟りになられた教えが、インドから中国へ、そして中国から日本に伝えられ、曹洞宗は、道元禅師が鎌倉時代に開かれました。

曹洞宗は、『釈迦牟尼仏(お釈迦さま)』をご本尊としてあおぎ、拝む時は「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」とお唱えし、坐禅を中心に修行をします。

曹洞宗には、
・大本山 永平寺(福井県吉田郡永平寺町)
・大本山總持寺(横浜市鶴見区鶴見)
2つの本山が有り、これを両大本山といいます。

永平寺を開かれた道元禅師を「高祖(こうそ)」、總持寺を開き、教えを全国に広められた瑩山禅師を「太祖(たいそ)」と仰ぎ、このお二人の祖師を「両祖」とお呼びしています。