令和六年七月二十八日

「施食」とは、「餓鬼に施す」という意味です。「餓鬼」とは、生前の悪行の報いで、”餓鬼道”に落ちた亡者のことをいいます。起源は「お釈迦様の十大弟子の十番目で、お釈迦様のいとこである阿難(アーナンダ)尊者が、森の中で坐禅しているときに突然現れた餓鬼とのやりとりです。「三日後、あなたの命はなくなり、私と同じ餓鬼道におちるだろう」と餓鬼に告げられた阿難尊者は、お釈迦様に相談されました。

お釈迦様は、阿難尊者に”<無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼>という陀羅尼(お経のこと)がある。この陀羅尼を唱えながら、ひとつまみの食べ物を施すと、それが無量の食べ物となって、無数の餓鬼に施すことになる。そうすれば施主も寿命が長らえ、その功徳に寄って仏道を証得できるだろう”と教えられました。

難尊者はお教えのとおりに供養すると、数多の食べ物で多くの餓鬼を救うことができ、施主の寿命ものびたといわれています。

この説話が、施食会の始まりです。施食会は、私たちと縁深いご先祖さまはもちろんのこと、祀り手のない仏様、無縁の仏様、全ての精霊に対し、たくさんのお供えをして供養の手をさし述べる法要です。近年では、お盆と同時期に行われるようになりました。

                         

「施食会(せじきえ)」とは、

「三界萬霊(さんかいばんれい)」という仏教で説かれる
「欲 界・色界・無色界」という三つの世界への食を施す法要です。

この「三界萬霊」は、仏様の世界に到達する前にある「すべての世界のすべての精 霊」、つまり「全世界の一切の存在」
という意味であり、この施食会での供養の対象なのです。

私たちと縁の深い精霊や、一見関係がないと思われる精霊など、この世界のすべての精霊に対し、大勢の僧経を唱え食事をお供え供養を行い、その功徳をご先祖さまにめぐらせて向ける(回向)のです。

今回は大分県宇佐市 宝福寺住職 髙持康道老師 が来て下さいました。暑い中法話をして頂きましてありがとうございました。

 

暑い中、たくさんの方に足を運んで頂きました。ありがとうございました。