本堂
昭和48年に建築され、平成20年 12月に屋根補修工事を完了。本堂内には十六羅漢板絵画像があります。
十六羅漢板絵
お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を『十六羅漢』といいます。お釈迦様の教えを後世に伝える大切な役割を担っています。
当山の十六羅漢板絵は、天明6年(1786年)12月、当山13世の月峰桂本(げんぽうけいほん)大和尚のときに、当時の豪商・石見屋2代小田清兵衛と小田理兵衛が中井直(号・雪施)に描かせて奉納されたものです。
高さ94cm、幅72cm、厚さ2cmの16枚の板にそれぞれ羅漢像が描かれています。
山門
文久3年(1863年)4月3日に建立されました。平成24年11月30日に改修完了。両側には、宝暦4年(1754年)に寄進された石像の仁王像が納められています。
檀信徒会館
総代会や婦人会、法話、御詠歌講習などの場として檀信徒のみなさまに活用されています。
杓底一残水
永平寺を開いた道元禅師が、柄杓の底に残った水さえも粗末にすることなく、元の川の流れに戻したという言い伝えです。つまり、わずかな水でも元の川に流れることによって、下流に住む多くの人々がその恩恵にあずかることができるというお教えです。
開山堂
歴代住職のお位牌を安置した開山堂。元は観音堂として建立された築210年ほどになる古い建造物です。
若山牧水歌碑
昭和2年(1927年)7月に、歌人・若山牧水が伯父(母・マキの兄)である当時の第29世・長田観禅住職を尋ねて、妻・喜志子と台雲寺を訪れました。
その滞在中、庫裡(くり=住職やその家族が居住する場所)の2階にて
「なつかしき 城山の鐘鳴いでぬ をさかりし日 聞きしごとくに」
の詠草を残したとして知られています。
昭和60年(1985年)10月21日に若山牧水生誕百年祭を記念して歌碑が建立されました。
佛足跡・佛足跡歌碑
佛足跡
佛足跡は、お釈迦様が入滅した際に残したという足形を石に刻んだもので、奈良時代に日本に伝わり、各地で模刻されお参りされました。
当山の佛足跡・佛足跡歌碑は、国宝である文政年間奈良薬師寺の佛足跡を転写したもので、文政12年(1829年)に建立されました。宮崎県内では唯一こちらだけになります。
佛足跡歌碑
歌碑には、5・7・5・7・7・7の形式をとる歌体で、佛足跡歌21首が万葉仮名で刻まれています。当山の歌碑には2首少ない19首19行が刻まれています。
永代供養塔
永代供養とは、当山より遠方に居住の方、次世代の施主のおられない方など、諸事情によりお寺に参拝できなくても、お寺が責任をもって永遠にわたり今後の供養をお任せいただくものです。住職が代わりましても、代々で責任をもって勤めさせていただきます。新しく建設した新納骨堂の3階に、永代供養家を設置いたしております。
地蔵苑
当寺では、供養をしたいと願う檀家様の寄進により、昭和59年(1984年)に地蔵苑を建立しました。当時の地蔵尊は、専門職人により手掘りでつくられていたので、ひとつひとつ表情が違っているのも特徴です。
毎年、旧暦1月24日に地蔵尊大祭をおこなっております。